おとしより
えーとこうなんというかちょっとせつなくてちょっとこころあたたまる、イイ話っつーのがあったわけですな。こんな感じで。
ある米国人女性は結婚式の6日前になって、相手の男性に逃げられ悲しみのどん底に。結婚パーティーをキャンセルしようにも代金を取られると分かった女性は、目に入った老人ホームを見てアイデアがひらめいた。
このニュースmixiにも拾われていましてね。トップページの見出しは「捨てられた花嫁 お年寄り招待」てのでした。
この見出しをみたオイラはこう考えた。「ふむふむオペラの上演か。お年寄りをオペラに招待するのか。…でもどこの話だ。なんでわざわざお年寄りをスメタナのオペラに?」
しかし内容は上記リンク先のとおり。あ、しまった。だいたいスメタナのオペラは「売られた花嫁」だし。
さいきんあれねー。こういう間抜けな勘違いがちょいちょいあるわー。そりゃオイラがお年寄りだからさ。うふふ〜ん。
あひるも…
台風18号接近に伴い、展示作品等の撤去作業を行いますので、10月7日(水)8日(木)は水都大阪2009の全プログラムを中止いたします。
だそうであのアヒルも撤去ですかね。あれ実に見てみたい。ガンダムなきあと、鉄人よりもアヒルではあるまいか。
まーカッパだったらさらに良かったですが(やっぱそれか)
いっつ・あ・れじぇんど
世界伝説全集を紐解くと、「とらじろう」の伝説に関する記述を4箇所ほど見つけることができる。以下は「とらじろう」に関する当該文献からの引用である。
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・◆伝説1
とらじろうの部屋は、人が想像できる汚さをとうに超えている。
(425ページ 25行目)
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・◆伝説2
とらじろうはウンコを投げられてさえ「エンガチョしてるから大丈夫」と強がる。
(725ページ 9行目)
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・◆伝説3
とらじろうは死刑宣告を受けたが「アッシは死刑とかそういうガラじゃないんで(照)」と言って逃げ切った。
(225ページ 23行目)
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・◆伝説4
とらじろうほどの者ならば、すぐに小野妹子が男だと気づくだろう。
(225ページ 25行目)
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自分伝説を知りたい方はこちらでどうぞ。
こっちで見た方が楽しいかしらね。伝説1なんか「うんうんそのとおりだ」と納得してしまったじゃないかよオイ
久々の映画館
つーてもまあ今時のシネ・コンですが、久しく足を運んでいなかったなあと。ですがこの作品ばかりは大画面で見て映像を堪能せねばなるまいよと。思い立ちましてね。
行きましたよ剣岳。
やーすごかった。映画もすごかったけれどなんと客席がみごとにシニアだらけ。まあ予想はしていたけれど見事すぎ。夏休みとあって他のスクリーンは結構お子様連れも多かったのだけれどここは別世界でした。
映画はもちろん堪能しました。やっぱ大画面と大音響で見れて良かった。
おさむらいさん…
エヴァというのかヱヴァンゲリヲンなんすかねえ。新劇場版公開まぢかで、ヨノナカあふれてますないろんなのが。今日も書店でこんなのが平積みになっているのを見かけたのです。
んーアスカ。そしていつもの明朝体。んー「お侍さん」。お侍さんかーそーかエヴァってお侍さんだねー。ん。ちょっと待てオサムライサン??
お待たせ!だよオマタセ。なんだよ「お侍さん」って。だって遠くからみたら一瞬そう見えたんだから。仕方ないじゃないかっ。
んー。かたじけない。いや、めんぼくない、というべきか。オサムライサン…
良いお年を
いやもうね、またもやこんな更新間隔。もうしわけない限りです。てことで本年ももう残りわずかなわけですが、さすがに年を越す前にこれだけは触れておきたいと。
ごめん。待った?
本日、ついに「Project Palm」が発売された。
いやもう12/26の記事ですし今さらで申し訳ないのですけれど。しかも数日前からのカウントダウンも見ていましたし機長さんからメールまでもらったのですけれど。
アレがアレしていまして(どれだよ)今日まで触れられずにおりました。Palm系のサイトではもうひととおり触れられていますし、読後コメントまで出てきている昨今です。タイミングとしては大間抜け。でも触れずにおられましょうか。快挙。
さて、そんなこんなで結局間欠的更新に終始した今年の当サイトでありました。来年も大して変わらないでありましょう。そんな中でもときおり思い出したようになんか書いていきますので、みなさまも心の片隅に止めておいていただけるとありがたいと。いやいや、それすらおこがましいですね。
まその程度のカンジで続けていきますのでどぞよろしく。
こんなカンジで
ここのところ更新がままならないのは、ナニか意味のある、たとえば役に立つコンテンツを知らず知らずのうちに心がけてしまっているからなのではないかと。そんなことはプロのかたにお任せすれば良いのでは。ていうか、そんないつもいつもお役立ち情報なんて発信出来ないよねえ。
当サイト管理人はカッパ情報をお役立ち情報だと思い込んでいるフシがあるのでちょっとその辺はどうかしていますが。
たとえばですよ。最近ミクシあたりではこんなのを日々紹介したりしているわけですが。
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あーこれはちょっと前に行った新潟県は燕市の杭州飯店。のラーメン。燕三条系なんていって、魚ダシのきいたスープと背油と太麺がこのヘンのラーメンの特徴らしいですが、その代表店でありますね。
見ての通りのこってりぎとぎとなんですけれど、スープをすすってみればベースは意外とシンプルですっきりとしているのです。まるでそばつゆのようなね。そして麺はまるでうどんだ。鹹水の黄色みがあまりないのもうどん感を際ただせています。
なんてことを書いていくと、よくあるラーメンうんちく系サイトに。でもそんなのやるつもりもないんだな。てか、そんなのやるつもりだったらとたんに書けなくなっちゃうねえ。
じゃミクシではどうして書けるか。それは単に夜中にマイミク各位にラーメン写真見せて嫌がらせをしようとか(おい)、ただだらだらと近況を書こうとか。
ま、つまり、情報発信しよう、などと考えないから出来るのだな。そして続くのだな。
情報としての価値なんてのはあとから付いてくるのだね。たぶんね。だからここもそろそろ5年もやってるんだし、力を抜いて、褒められたいとか役立ちたいとか、そんなのを忘れて、だらだらやると良いね。
あーなんかよくわかんないこと書いてるや。
とりあえずラーメンは好きだ。
不思議な光景
月曜日の夕方、車を走らせていた時のことです。
上空は厚い雲。時折雨も降る天気です。ところが地平線近くだけ帯のように雲が空いている部分が。こんなカンジの空は実は新潟には良くあることだなと思っているのですが。
これがちょうど日没時だったのです。そしてとても不思議な光景が広がりました。
沈む太陽が地平線の雲の隙間に顔を出す。鮮やかな夕焼けが上空の雲にまで映ってオレンジに染まります。ところが上空の雲は厚いですから、そんな状態で猛烈な雨が降り出したりするのです。
夕焼けと雨。実に不思議な光景でした。そして運転中だったので写真が撮れなくて実に残念でありました。
プロとアマについてあらためてかんがえた
先週のSNOOP MiKiCO の 喋りまくりすてぃを聞きまして、あらためて考えたわけです。MiKiCOさんの話は、「SNOOPはプロって勘違いしてくれてるトコロがいくつかあるけど、インディーズであってプロじゃないよ、でも嬉しいな」、というようなものでした。
そういえばまさにワタシがPS3の感想を書いた少し前のエントリでこんなことを言っていましたね。
今回やはり素晴らしかったSNOOPはインディーズとはいえ正真正銘のプロ(変な失礼な言い方かな…ドキドキ)。
これはなんていうのか、半分は認識不足かもしれなくて、でも半分は確信犯的に書いた部分もあって。つまり「音楽でメシ食ってないかもしれないけれど、これはもうプロといってもいいんじゃないの」みたいな気持ちも半分はありました。
で、前回も書いたのだけれどあらためてプロって何だろう、と考えているのです。このところ。
音楽に限らず、それぞれの活動で基本的に暮らしていけるだけの収入を得られたら、まずそれはプロなのでしょうか。まあごく単純に言えばそうでしょう。でもその線引きは難しいですよね。アルバイトをしないととてもじゃないけれど十分に暮らしてはいけないよ、というプロも多いことでしょう。
問題は意識なのかな、と。陳腐な物言いだけれど、いわゆるプロ意識。
お金をもらう以上一生懸命最高の仕事をする。それはある意味当然でしょう。でもそれだけがプロ意識なのかな。お金がもらえなくてもベストを尽くす。責任も自覚する。そんなプロ意識もあるのではないだろうか。
これも言い尽くされたような話だけれど(そして自分でも前回言ったけれど)、ネットを中心としたテクノロジーの進歩は、確実に旧来のプロとアマの線引きを曖昧にしていると感じます。とくに音楽・映像・テキスト・イラスト・コミック…そういった表現活動において。
ラジオごっこは昔からミニFMなどであったけれど、今は誰でも簡単にPodcastという仕組みを使ってそこそこの番組をひとりでつくって配信することができる。その声をとどけられる範囲は簡単に全世界に及ぼすことができます。こんなことはかつてのミニFMでは絶対できなかった。テキストやコミックも昔からの同人誌の枠を越えて発信できる。これは考えれば考えるほどとてつもないこと。
つまり表現活動を行っていく上でまとまった資本が必ずしも必要でなくなっている。「商売」に支えられる必要が必ずしもあるわけでない、と。そうすると「プロ」という考え方も必然的に揺らいでくるのではないか。
BonchicastをはじめとしたPodcastをつうじて、そしてそうした中で知ったPodsafe Music Networkなどの音楽共有サイトをつうじて、ワタシ自身すばらしいインディーズのアーティストをたくさん教えてもらいました。こうした仕組みがなかったら、たぶんそうしたアーティストの曲を知ることはなかっただろうな、と思います。これはすごいことだなと。
そしてもっとすごいことは、そうしたアーティストの曲が、メジャーレーベルのアーティストの曲にまったく劣らないということ。音楽のクォリティをどうこう言うほど自分の耳に自信はないのだけれど、まったく遜色ないな、と思えるものが中にはある。
だからますます「商売」じゃないんだなと。
商売じゃないとすれば、カネじゃないとすれば、ナニがそのクォリティを支えているのだろう。そう思ったときに、もちろんひとつは才能だろうけれど、もう一つは意識とか姿勢とか、そういうものかな、と。
それは「相手にこの思いを届けたい」という気持ちの強さというか。音楽であれば聞き手に、テキストであれば読み手に、楽しんでもらいたいという強い気持ち。それなりの時間を割いてくれる聞き手や読み手への感謝の気持ち。そうした思いの有無や、そうしたことをきちんとする姿勢が、クォリティを支えているんではないか。そういう気がして仕方がない昨今です。
カネが絡まないプロ意識ってのはそういうことなのかな。
でもこれはねえ。たとえばいつかはメジャーデビューして音楽で食べていけるようになりたい、とがんばっているアーティストの努力を無駄なことだといっているのじゃないわけで。それはそれでがんばってほしいし、「商売」として成り立っていけたら嬉しい。このへん難しいですね。
一方でちょっとでもカネのニオイのするところにはハイエナのようにいろんなのがむらがってくるとか、がっちりつかんで放さないとか、そういう風潮ってのもあるじゃないですか。バブル崩壊後の長期不況の負の遺産なのかもしれないですけれど。ネット周りにもなんか多いですよね。ワタシ個人的にそういうの嫌いで。ビジネスという名目でカッコつけたりしていると反吐がでます。なんかねえ、ワタシがカネに淡泊すぎるのかもしれないですけれどねえ。資本主義社会の落ちこぼれなのかもしれないですけれど。
まっとうな人間がまっとうに商売できる世の中だといいですよねえ。
あとあれだ。さっきクォリティが変わらないって言いましたけれど。商売が支えているところはもちろんきちんとしている。それは商売だから当たり前でもある。一方でそうでないところには聞くに耐えない、読むに耐えないひどいのもありますよ。もちろん。だけどすばらしいものもある。商売に支えられていないトコロの、その振れ幅は大きいです。
以前誰かから、「コンスタントにヒットを打てるのがプロ、ホームランも打てば三振もするのがアマ。だからアマもたまにはプロをしのぐことがある」ってな話を聞いた覚えがあります。これは下手な鉄砲数打ちゃみたいな話にも聞こえますが、アマチュアの振れ幅の大きさの話でもあって。だからこそ、その振れ幅が生まれる要因が気になって。そしてたぶんそれは(少なくとも音楽とかテキストとかの表現行為の場合)相手を自覚した上での思いの強さなんだろうかなと。そう思うわけで。
や。そもそもこんなだらだらと読み手を考えない文章を垂れ流している自分がダメダメですね(オチはそれか)。
![Newtype (ニュータイプ) 2009年 07月号 [雑誌]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/61CPl5eC8UL._SL160_.jpg)



