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2007年6月19日

プロとアマについてあらためてかんがえた

先週のSNOOP MiKiCO の 喋りまくりすてぃを聞きまして、あらためて考えたわけです。MiKiCOさんの話は、「SNOOPはプロって勘違いしてくれてるトコロがいくつかあるけど、インディーズであってプロじゃないよ、でも嬉しいな」、というようなものでした。

そういえばまさにワタシがPS3の感想を書いた少し前のエントリでこんなことを言っていましたね。

今回やはり素晴らしかったSNOOPはインディーズとはいえ正真正銘のプロ(変な失礼な言い方かな…ドキドキ)。

これはなんていうのか、半分は認識不足かもしれなくて、でも半分は確信犯的に書いた部分もあって。つまり「音楽でメシ食ってないかもしれないけれど、これはもうプロといってもいいんじゃないの」みたいな気持ちも半分はありました。

で、前回も書いたのだけれどあらためてプロって何だろう、と考えているのです。このところ。

音楽に限らず、それぞれの活動で基本的に暮らしていけるだけの収入を得られたら、まずそれはプロなのでしょうか。まあごく単純に言えばそうでしょう。でもその線引きは難しいですよね。アルバイトをしないととてもじゃないけれど十分に暮らしてはいけないよ、というプロも多いことでしょう。

問題は意識なのかな、と。陳腐な物言いだけれど、いわゆるプロ意識。

お金をもらう以上一生懸命最高の仕事をする。それはある意味当然でしょう。でもそれだけがプロ意識なのかな。お金がもらえなくてもベストを尽くす。責任も自覚する。そんなプロ意識もあるのではないだろうか。

これも言い尽くされたような話だけれど(そして自分でも前回言ったけれど)、ネットを中心としたテクノロジーの進歩は、確実に旧来のプロとアマの線引きを曖昧にしていると感じます。とくに音楽・映像・テキスト・イラスト・コミック…そういった表現活動において。

ラジオごっこは昔からミニFMなどであったけれど、今は誰でも簡単にPodcastという仕組みを使ってそこそこの番組をひとりでつくって配信することができる。その声をとどけられる範囲は簡単に全世界に及ぼすことができます。こんなことはかつてのミニFMでは絶対できなかった。テキストやコミックも昔からの同人誌の枠を越えて発信できる。これは考えれば考えるほどとてつもないこと。

つまり表現活動を行っていく上でまとまった資本が必ずしも必要でなくなっている。「商売」に支えられる必要が必ずしもあるわけでない、と。そうすると「プロ」という考え方も必然的に揺らいでくるのではないか。

BonchicastをはじめとしたPodcastをつうじて、そしてそうした中で知ったPodsafe Music Networkなどの音楽共有サイトをつうじて、ワタシ自身すばらしいインディーズのアーティストをたくさん教えてもらいました。こうした仕組みがなかったら、たぶんそうしたアーティストの曲を知ることはなかっただろうな、と思います。これはすごいことだなと。

そしてもっとすごいことは、そうしたアーティストの曲が、メジャーレーベルのアーティストの曲にまったく劣らないということ。音楽のクォリティをどうこう言うほど自分の耳に自信はないのだけれど、まったく遜色ないな、と思えるものが中にはある。

だからますます「商売」じゃないんだなと。

商売じゃないとすれば、カネじゃないとすれば、ナニがそのクォリティを支えているのだろう。そう思ったときに、もちろんひとつは才能だろうけれど、もう一つは意識とか姿勢とか、そういうものかな、と。

それは「相手にこの思いを届けたい」という気持ちの強さというか。音楽であれば聞き手に、テキストであれば読み手に、楽しんでもらいたいという強い気持ち。それなりの時間を割いてくれる聞き手や読み手への感謝の気持ち。そうした思いの有無や、そうしたことをきちんとする姿勢が、クォリティを支えているんではないか。そういう気がして仕方がない昨今です。

カネが絡まないプロ意識
ってのはそういうことなのかな。

でもこれはねえ。たとえばいつかはメジャーデビューして音楽で食べていけるようになりたい、とがんばっているアーティストの努力を無駄なことだといっているのじゃないわけで。それはそれでがんばってほしいし、「商売」として成り立っていけたら嬉しい。このへん難しいですね。

一方でちょっとでもカネのニオイのするところにはハイエナのようにいろんなのがむらがってくるとか、がっちりつかんで放さないとか、そういう風潮ってのもあるじゃないですか。バブル崩壊後の長期不況の負の遺産なのかもしれないですけれど。ネット周りにもなんか多いですよね。ワタシ個人的にそういうの嫌いで。ビジネスという名目でカッコつけたりしていると反吐がでます。なんかねえ、ワタシがカネに淡泊すぎるのかもしれないですけれどねえ。資本主義社会の落ちこぼれなのかもしれないですけれど。

まっとうな人間がまっとうに商売できる世の中だといいですよねえ。

あとあれだ。さっきクォリティが変わらないって言いましたけれど。商売が支えているところはもちろんきちんとしている。それは商売だから当たり前でもある。一方でそうでないところには聞くに耐えない、読むに耐えないひどいのもありますよ。もちろん。だけどすばらしいものもある。商売に支えられていないトコロの、その振れ幅は大きいです。

以前誰かから、「コンスタントにヒットを打てるのがプロ、ホームランも打てば三振もするのがアマ。だからアマもたまにはプロをしのぐことがある」ってな話を聞いた覚えがあります。これは下手な鉄砲数打ちゃみたいな話にも聞こえますが、アマチュアの振れ幅の大きさの話でもあって。だからこそ、その振れ幅が生まれる要因が気になって。そしてたぶんそれは(少なくとも音楽とかテキストとかの表現行為の場合)相手を自覚した上での思いの強さなんだろうかなと。そう思うわけで。

や。そもそもこんなだらだらと読み手を考えない文章を垂れ流している自分がダメダメですね(オチはそれか)。

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