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2006年10月24日

観音山にも哀愁の雨は降っているだろうか

昨日のことですが、ふと見ると当サイトのカウンタが異常なヒット数を計上していましてね。なんだろーな、と思いアクセスログを見てみたのです。そして納得。ほとんどが「カッパピア」を検索ワードとした各種検索エンジンからのアクセスでした。ええ、当サイトのこんなエントリあたりに辿り着いておられると。ご丁寧に「心霊スポット」という検索ワードを添えていらっしゃる方も多く、ははぁなるほどTVかなにかでカッパピアがまた心霊スポットとして紹介されたのだな、と思い当たった次第。

ちょっと前からこうしたアクセスは目立っていましたが、複雑な気持ちですよね。だって現役時代の記憶はまだ生々しいですから。関係者だっておられるでしょ。それが廃墟となり心霊スポットなどと言われてマスコミに取りあげられる。「霊」にまつわる変な噂すらあるそうじゃないですか。どーなのかそれは。

ワタシも伊達や酔狂でカッパフェチをやっているワケではないので(いや敢えて伊達や酔狂かも知れないですけれど)、妖怪だなんだかんだは大好きなクチです。だから廃墟をはじめたとしたある種の場所が、ヒトの心をざわつかせる力を持っていることは、素直に理解できます。あ、何かいる、ってヤツですね。だってそうした心のざわめきを説明する手段として、妖怪は生まれてきたのですから。

でもね。なんでもかんでも「心霊」はどうよ。と思うわけです。生身の人間の不慮の死や残された怨念。それはそうした場所の心のざわめきを説明する物語としては最強ですけれど、いかにも安易でしょ。ヒトは「あーそれで」と納得してしまう。それは同時に、想像力の幅を狭めてしまうのではないでしょうかね。

心がざわめく場所に、すぐに「昔ここで首つりが」的な物語を当てはめて納得してしまう現代の日本人は、じつに多彩な妖怪の姿をそこに思い描いた昔の日本人に比べて、ひどく精神が貧困になっているのではないか、と思ってしまうのは考えすぎでしょうかねえ。ましてそうした安易な物語は、TVや雑誌の商売の道具として量産されて、受け入れられていくわけです。

われわれの先人の類い希な想像力の産物であるカッパがかつてあふれていたカッパピアが、今や心霊スポットとしてもてはやされている姿は、こうした精神の貧困をはからずも象徴するもののように思えて仕方ないのです。

なんてことをまあつらつらと考えるわけですが、そりゃーおまえのカッパひいきが過ぎるからだよ、と言われればその通りなわけで。論旨が破綻しているのもご愛敬。カッパピアだって商売のために安易にカッパをキャラクター化したんだから。

まあ所詮ワタシはカッパ原理主義者なのだ。なんだよそりゃ。

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とらじろうさんの『こしぱ Weblog』に書いてあったエントリーに触発されて、です。 「カッパピア」が心霊ス [Read More]

コメント

まったく・・・貧困に成った物ですね。これもTVの影響は大きいでしょうね。
話は少しずれますが、以前MTVが流行りだした時に感じた事は
楽曲を聴いて頭の中に浮かぶ映像が・・・MTV以外の映像にならない事でした。

以前は、曲や聴く状況や状態により、様々な映像を音から想像していた物なのですが・・・

映像媒体を否定する訳ではないのですがね・・・
(大分話がずれちゃってすんませんです)TBにしたほうがよかったですね(苦笑)

鶴丸さん、どうもです。いえいえ、まったくずれた話ではないと思いますよ。
メディアの進化と想像力の貧困化は、残念ながら同時に進んでいるということなんでしょうね。
でも本質的にトレードオフなのかというと、決してそうではないとも思うのです。
想像力を豊かにする。大袈裟にいうとそれが文化の質の向上に結びつくのでしょうね。

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