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2006年2月25日

電子ノスタルジカ3

【前回までのあらすじ】小6で複素数の概念に触れたにもかかわらず、楽器にうつつを抜かして高校で完全に数学に落ちこぼれたとらじろう少年(ブレ方が極端)。デジタル技術にもまったく乗り遅れ、エンジニアへの道ははてしなく遠のいて行く…【/前回までのあらすじ】

デジタル技術とふたたび出会ったのは(ハードの分野ではないですが)大学の講義でありました。当然のように文系学部に入りましたが、数学ができなくて仕方なく、というより、このころは文系分野で本当にやりたいことも出てきましたのでね。で、教養の授業で自然系の科目をいくつかとらなくてはならない。ワタシは迷わずコンピュータの講義をとりました。まあ少しは興味が残っていたのですね。なにせ家では父親がマイコンいじっていますし。

コンピュータの基礎的理論と、プログラミングの実習。ええと、今だとこの手の授業ではC言語あたりが主流なんでしょうけれど、当時はFORTRANでありました。それぞれ組んでみたプログラムは、各自空き時間に大型計算機センターに行って実行し、出力して提出です。いや、それより何よりプログラム自体は紙カードにパンチして提出したのです。ええ、たぶんいまなら各自のPC上でコンパイルして実行できるし、ソースコードはメールで提出させるでしょう。隔世の感であります。

これがねえ、なかなか面白かったのですが、続きはしなかった。たしかそのころ父親がシャープのたぶんMZ-2000を買って、こいつを借りていじりながらBASICもかじってみて、授業で作ったプログラムを移植してみたりしたのです。でも今はFORTRANもBASICもとんと覚えていない。続けていないから当然です。

しかしほんの少しであってもプログラミングの基礎をかじったというのは、とても大きいことではあったのではないかと思います。Webにハマっている今となっては、perlなんかのコードをちょこっといじらなくてはならないハメにたまに陥ったりするのですが、系統的な勉強をしていないのでその度ごとに参考書と首っ引きのにわか対応ではありますが、なんとかそこそこ理解できますからね。ありがたいことです。

それにもうひとつ、実は我が家には父親が買ったなんとかっていう(名前を覚えていない)機械式計算機の教材キットみたいなのがありましてね。なんとも説明しにくいのですが、プラスチックの板と真鍮のロッドを組み合わせてガチャンと動かすと演算が実行される。中学の頃ワタシこれをいじっていまして、二進数の仕組みや論理演算の概念をそれなりに身につけたのでした。考えてみればこれが基礎中の基礎だったのですねえ。

さて、文系学部でまなび仕事もド文系の分野ではじめたワタシが次に手にしたのはワープロ専用機。最初は富士通のOASYS系統で、かの親指シフトです。その次に買ったのは東芝のRUPO。これは酷使しましたねえ。親指シフトからは脱却しましたが、このときに徹底してカナキー入力を身につけてしまったおかげで、いまでも日本語はカナ入力派です。とほほ。当時も困りましたよ。PCが普及し始めた頃で、わが業界にもコンピュータが導入され始めまして、データベースの桐とかですね。たまに入力をまかされると大変。入力の切り替えからしなくてはならないわけですし、これが簡単には出来ない環境だと(PCならまだしもワークステーションに接続する端末とか…)もう大変です。ローマ字入力だと異常に遅かったんですってば当時。仕事のできないヤツ、と思われたりしてもうね。今でも決して早くはないですローマ字。ちなみにキーボード付きのPDAにいまいち食指が動かない最大の原因もここにあります。

さて、そんなこんなで一気にコンピュータ嫌いとなった(今では信じられんがホントに嫌いだった)とらじろうが本格的にPCと出会うのは94年に今の職場に来て、ひとりに1台PCが割り当てられる環境となってからです。時代はWindows3.1。GUI環境にグイッと来て(オヤジギャグ失礼)、さらにインターネットが魅力的だった。当時ではwww上にこそたいした情報はありませんでしたけれど、MLやfjなどのネットニュースでの情報交換は非常に有益でした。やがて自宅用にもひとつ買いまして、NIFTYに入会。いわゆるパソ通の楽しさも知りました。

こうしてPCにハマって行くわけですが、最初は単なるユーザとしての楽しみ。ところが職場で使っているPCをWindows95に対応させようとしましてね、非力なマシンでそのままでは無理だったのですが、まるまる買い替える予算もなく。ところがCPUにゲタはかせるといいということを知りまして、ここからPCのハードをいじるということに目覚めて行きます。もちろんそこからとうとうPC自作に手を染め出しました。これにはハマりましてね、電子少年の頃の感覚が蘇ってきます。休暇時の帰省などを兼ねて秋葉原にも足しげく通うように。中学の頃と違って、今ではささやかながらも金銭的な余裕もあります。さあこうなるとあとは転げる石のよう。Webサイトを持つようになり、HTMLはまあ一番使いこなせる言語と言えるでしょう的なところまで行きましたし、古いマシンはPC UNIXでサーバーにして…てなことまで。

ただしPC自作は自作とはいえただパーツを組み合わせるだけですから、半田ごて握っての電子工作には戻っていませんでした。この世界に戻って来たのは2004年頃。このサイトにもそんな頃の記録が残っています。ラジオに戻って行ったのもそう。ただこれはですね、今だから言えますけれど、父が病に倒れまして結局2004年9月に亡くなったのですが、その父の死期が近いことを感じ、もはや現実に共有できない父との時間を自分の中に再生しようとした、という側面が非常に強いのでした。ここまで読んで来ていただいてお判りと思いますが、ワタシにとって電子技術とは父そのものであり、半田ごてを握っているとき、ワタシはいまでも父と一緒にいられるのです

てなことで、最後はちょっとしんみりしてしまいましたが、三回にわたって綴ってきた歴史をこう見てくると、ワタシはあれですね、途中で一度この世界から離れたこともあって、何もかも中途半端。無線も、アナログ回路も、プログラミングも、どれもこれもがちょっとかじっただけで深めていないという感じ。ただそういう広く浅くのバックボーンが、いろいろな技術的話題にも、ちょっと勉強すればなんとかついて行ける、というありがたいことにつながっている気がしています。まあ趣味ですし性格でもありますから、あいかわらず広く浅くでいかせていただきましょう。

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コメント

とらじろうさん、またまたご無沙汰いたしております。いつも楽しませていただいておりますが、今回の連載は特に面白かったです。微妙に違ってはいるのですが、私の中学から高校辺りの頃を懐かしく思い出しているような気分でした。私の場合は、中学はオーディオにはまり(その頃は4チャンエルステレオが全盛期でした)、高校ではアマチュア無線(21Mhz)に夢中になり、その後はカメラにどっぷりと浸かってしまいました。やはり昔趣味で凝ったものは懐かしいですね。就職してすぐに仕事でプログラミングをやったことは、昔のことであってもそれほど懐かしいとは思わないのは、仕事が嫌いだからでしょうか。これからもラジオのお話を楽しみにしております。

ぱむとろさん、どうもです。
みなそれぞれに電子少年の時代があるようで、やはりノルマも納期もないのが一番なのでしょう(笑)。とはいえ趣味に浸れる時間がすこしでもあるうちは幸せですね。なんとか大事にして行きたいと思います。

ども。やっぱ、同世代の共通認識・体験みたいなものが底流にありますから、自分に重ね合わせて読んでしまいました。(遠い目)

スイデンさん、どうもです。
スイデンさんもそうでしたか。この手の話は麻薬ですねえ。

初めまして。3部作楽しませていただきました。ご自身は浅く、といわれてますが、それでもあれだけの電子少年でいられたことに、尊敬と羨望の思いで読んでいました。私は電子とは無縁の少年時代でしたが、その反動もあってか電子中年へと道を踏み外しそうな予感が...(-_-;)

ryo-nさん、どうもです。

実はvoiceを楽しく聞かせていただいております(未聴で溜めてしまうことが多く、リアルタイムで反応できないのがナニですが)。

なるほど皆それぞれですねえ。是非電子中年の道をまっしぐらに進まれてください(笑)

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