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2004年4月28日

とらじろうごときがえらそうにネット上の日本語を論じる

えー、昨晩もまた聴きました「ラジオが教えてくれた曲」。月曜の晩はじつは冒頭少しの時間は聴けていなかったので、昨日「今晩は、渋谷陽一です」から聴いてますます嬉しくなりました。本当にはまりまくり。自分の中ではエアボンチ聴取史上最大のヒットでございました。

さて、そんなこんなの中で、妻が実はエアボンチをエアポンチだとおもっていたということが判明。えっとWindowsのMS ゴシックでは判別しにくいかもしれませんが、Air Ponchiです。かわいいぞエアポンチ。

この濁点と半濁点の判別は、Windowsではなかなか悩ましい問題ですね。ネットをはじめとしてPC上でのテキストの読み書きにとって、ちょっとした落とし穴になりがち。最近UTF-8にも対応したと話題の、冒険野郎 Mac-Visorさんとこの「VisorにWebがぴるごむ?!」なんて、わたしゃ長いこと「びるごむ」だと思っていました。

とかつらつらと考えてみたら、ネット上のテキストの日本語についてあれこれと気になっていることがいろいろと思い浮かんでまいりました。普段このサイトではつまらない駄文でお茶を濁しているワタシですが、いちおう文章書いてお金を貰ったりもしているので(ネットやPCやPDAやカッパとはまったく無関係の業界ですが)、日本語にはちょっと敏感。大上段に振りかぶって「正しい日本語とは…」などと言うつもりはさらさらないんですが、違和感というモノは日々感じております。

考えてみますとね、ネットがこれほど発達する以前の時代では、新聞・雑誌・書籍など従来型のメディアで目に触れるテキストの大部分が、いちおう物書きとしてのプロが書いた文章でして、シロウトの文章を読む機会はそれほどなかった。それが今や、ちょっとWeb巡回すればシロウトの文章が大量に飛び込んできます。いや、シロウトシロウトって言ってますが馬鹿にしているのではありません。シロウトおおいに結構なのでありまして、むしろ一般的な日本人の言語感覚が正直に反映されるという点で、シロウトの文章の方が格段におもしろい。じつに興味深いのであります。

私自身は、目くじらをたてる人も多い「ら抜き表現」には実は寛大です。このサイト書いているときも自分自身がしょっちゅうATOKさまに怒られますが、うるせーよってなもんです。広島で育った妻に言わせると、瀬戸内では「食べれん」「寝れん」というのが普通だし、ら抜きをやかましく言う人の気が知れん、ということだそうな。方言まで含めて考えれば、たしかにその通りで。

一番気になるのは、「発音しやすく音を入れ替えてしまう現象」ですね。有名な「雰囲気→ふいんき」や「コミュニケーション→コミニュケーション」がそれにあたります。あのですね、ATOKはこみにゅけーしょんと入力するとコミニュケーションと即座に変換してくれますよ。シュミレーションも同様。ら抜きにあれほどうるさいのにこのていたらくは、ぬるいくせに口だけはうるさいこっぱげた上司のようでいただけませんな、ATOK。

ま、しかしこれは口語としてはある意味仕方のないことでしょう。むしろそうした現象がネット上に広く反映されていることが、とてもおもしろく興味深いですね。ただ違和感はありますし、たとえば「一応」を「いちよう」なんて書いてあるとあたま弱そうでなんだかなぁと思ってしまいますが。あと「うるおぼえ」。これは「パバ問題」と同様字形の相似にもよるのでしょうか。

あと意外と気になるのが単語や慣用句の意味の取り違え。これも「役不足」や「的を射た指摘」が有名ですが、他にもずいぶん気になるモノがありますよ。例えばよく見るのが「やんごとない事情で更新が滞ってましたが…」などというもの。ええ、これは本当は「よんどころない事情」と書くべきところです。「やんごとない」は「身分などが貴い」という意味であり、「よんどころない」は「避けることができない」という意味です。「やんごとない事情で…」などと書かれると、「ああ、この管理人さんはお妃候補にでも挙げられて忙しかったのかな」などとあらぬ妄想を抱いてしまいます。

ただ厄介なのはこの「やんごとない」、辞書をひくとちゃんと「避けることができない」という意味も載っていたりすることです。しかもこちらの方が実は原義なので、その辞書の編集方針によってはこっちの意味の方が先に載っていることもあるかもしれません。ただこの意味での用例はたとえば平安文学などにあらわれるのであって、その後「やんごとない」は「高貴な」という意味に転化して現在に至るのです。おそらく書いている人は平安文学のつもりで書いているのではないでしょうから、勘違いなのでしょうが。

さらに細かいことですが、「どなたかご教授ください」というのも気になります。これは微妙で異論もあるかも知れないのですが、断片的なものも含めてなんらかの知識・知見を教える場合には、「教示」を使うと自分では理解しています。それに対し「教授」は、体系的な知識をそれこそ講義などで教え授けることです。論文などで、発想のヒント程度のモノを他人から得た場合には、「誰それのご教示による」と注を付けるのが普通です。だからネット上で質問するときなどに「ご教授ください」などと言っているのをみると、ああこのひとは書籍一冊分にもなる何十メガものPDFファイルを送りつけられてもいいという覚悟を示しているのだな、と妄想してしまうのです。それがイヤなら「ご教示ください」で止めておくのが無難でしょう。

こうした意味の取り違えは、往々にしてなにかあらまったカッコつけた文章を書こうと思ったときに滑り込んできがちです。怖いですね。このサイトみたいに、だらだらと気楽にとんでもねぇ日本語を含めて確信犯的(これも厳密には「的」をつけないとよろしくないです)に綴るのなら構わないわけですが、掲示板やMLなどでカッコつけようとして思わぬ恥をかくこともありがち。気をつけたいものです。自戒も込めて。

ということで、みなさん。あらたまって文章を書くときには、うるおぼえふいんきで書かずに、いちよう辞書をひきましょうね。

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コメント

偶然今日私も「ら抜き言葉」について書いたばかりだったので驚きました。
最近は余程気をつけていないと、間違えた使い方をしてしまいますね。
間違いが浸透してしまって容認されているものもたくさんありますし、時代の流れには逆らえません。

スイマセン、二重投稿になってしまいました。

音っとっとさん、どうもです。奇遇ですね。サイト拝見しました。
「ら抜き」はイカンという人、いいじゃんという人、どちらにも一理あると思うので困りものですね。
ただワタシとしては、「ら抜き」だけ騒がれすぎだという気がしないでもないのです。
それだけ違和感を感じる人には強烈な違和感を与えるものなのかもしれないのですが。
本文で書いたように、方言までいれて考えるとどうなんでしょうね。九州はどうですか。
それよりも単語や慣用句の勘違いの方が、意図が伝わらないという点で深刻だと思うのですが。
ま、いずれにしてもTPOですよね。ワタシもこんなこといっていながら、このサイトでの日本語はむちゃくちゃですし。

二重投稿はお気になさらず。いっこ消しておきました。

ちょーど、OTN-JP(Oracle Technology Network Japan)でも、教授/教示の話出てきたので、こちらのURLを載せさせていただきました。
個人的に、違いが判りやすかったので。

うぇいくさん、どうもです。
Oracleの掲示板も拝見しました。私の感覚が、それほど的はずれではなかったと確認でき、有意義でした。
ただ、いずれ「ご教授」が一般の世界でもあたりまえになっていくかどうかは微妙ですね。
ネット上の「方言」のようなものになるのでは、とも思われます。

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