« TH55は海外でもBT無しか? | メイン | 私はとんこつ派 »

2004年2月 6日

ネットストーカーが残したもの

[2/7、タイトル・表現等を修正・補足。読み返して論旨が不明瞭に思えたので。]

asahi.com: 女子大生のHP見て恋心 新潟大立てこもりの米国人学生

昨年末に起きた事件の詳報。学生等に被害がなくて良かったのですが(いや、精神的被害は受けたでしょうが肉体的な危害がなくて、という意味で)、こんなことだったというわけです。

大学や高校のサイトに限らず、個人ページを作ると最初は嬉しくて、まるで友人にプリクラをベタベタ貼ったノートを見せる感覚で写真を貼りまくったり、子供の写真をのせてみたり、言わずもがなの個人情報を垂れ流していたりすることが、よくあります。それをほほえましく思うか「イタイなぁ」と思うか、うけとり方は様々でしょうが、世の中そんな風に自分の「外側」のものとして楽しんで見てくれる人ばかりではありません。

asahi.comの記事によれば

男がHPを見つけたのは12月の初め。8日までにシアトルから3通のメールを送った。翌9日、東京に来て数日滞在した後、事件前日の18日に新潟市へ。この間も4通のメールを送っている。女子学生が無視していると、「なんで返事をくれないんだ。なぜ会ってくれない」と内容はエスカレートしていった。そして事件が起きた。

これはもう常軌を逸しています。しかし常軌を逸した人も含めて、世界中からアクセスできてしまうのがWebサイトというものなのです。この事件の学生がどのようなページを作っていたかは知りませんし、「目を付けられる方にも落ち度があった」等と言って犯人を擁護するつもりは毛頭ありません。しかしこの事件が、不用意に個人情報を晒すことに対して警鐘を鳴らしたことは事実でしょう。実際「個人のHPを自主的に削除する学生も相次い」でいるとのことです。

「どんな人が見ているかわからない」からこそ、おもしろいのであり、また同時に危険なのであるということは、当然過ぎるほど当然のことです。ネットの世界に長くいる人間であれば、いろいろな苦い経験もつうじてそうしたことを実感しているでしょう。私だって、かつてはいらんことを晒したページを作っていて、その不用意さに今思っても赤面します。

皆次第次第に学んできたのです。しかし現在は、PCをネットに繋ぐことからしてひと苦労だったひと昔前と違って、簡単に新人がWebサイトを持ちデビューできる時代です。不用意に自分をさらけ出す人たちはものすごい勢いで再生産されていきます。ましてWebを閲覧する側の幅の広がりは言わずもがなです。かつてのように限られた人たちのコミュニティの中でゆっくりと「この世界」に慣れていけた昔とは異なり、あっという間にとんでもない危険に直面しうるのが現在の状況なのです。この事件は、そうした現状を象徴する事件であったといえます。

今回の事件でもうひとつ思うことがあります。

この事件のきっかけとなったのは大学のサイトでした。現在はいずこの大学でも、いわゆる情報教育に力を入れています。ネットをつうじた情報発信も、もちろんその中に含まれます。「情報機器操作実習」などの授業でWebページ作成のテクニックを学んだりするわけですが、その中では「個人情報は慎重に扱うように」等と必ず言われている筈なのです。

しかし多くの学生にとって、どんな危険があるのかピンとこずに、聞き流されているのではないかと危惧します。asahi.comの記事では「便利さとともに、危険が伴うことを改めて思い知らされた」という教員のコメントが紹介されていますが、まさに自分の身につまされなければ危険は認識しにくい、ということなのでしょう。

あるいはこの点は、「電車の中で傍若無人にふるまう高校生」に象徴されるように、仲間内にしか目がいかずその外側の世界に目が向かない(あるいは目をつぶろうとする)という風潮と関係あるかも知れません。外の世界に対する想像力を欠如させた者にとっては、あなたのWebサイトにやってくるのは「お友達」ばかりじゃないということが、理解しにくいのかもしれません。もしそうであるならば、通り一遍の情報セキュリティ教育は、考え直さなければいけないのかもしれません。

ところで少し前から、「儀礼的無関心」論とからめて、Webで無防備に自分を晒す人たちについての議論があります。数日前にARTIFACTの加野瀬さんが提唱していた、そういう無防備な人たちをシステムとして護りながら、ちょっとづつネットというものに慣れてもらう「ネット教習所」みたいなものの話は、なかなか興味深いものでした。

ARTIFACT:ネット教習所をシステムとして作る?儀礼的無関心について?
ARTIFACT:チンコを晒す自覚のない人たち?ネット教習所補足?

この提起は、いわば興味本位の視線から護るシステム、ということが主眼なわけで、直接には今回の話と結びつかないようでいて、実はそういう無防備な人たちはまた、今回のような事件の被害者ともなりうるというわけなのです。単に「不特定多数の目に晒される覚悟をせよ」と一喝するのではなく、はじめからあまり多くの目には触れない、そして段階的に閲覧者を増やしていける、そうしたことをゆるやかに実現できるシステムを技術的に用意してはどうか、という発想は、なかなか興味深いと感じました。いわば上で述べた、先人が次第に学んできた道を追体験できるシステム、とでもいうのでしょうか。

対象とされてしまった学生や巻き込まれた学生・教職員が感じた恐怖という精神的苦痛は、あまりに大きな代償ですが、無防備に自分をさらけだしてきた人たちにとって、自分のサイトを考え直すいい機会になったのもまた事実でしょう。そして同時に、そうした無防備な人たちをどう導いていくか、ということを考える機会にも。ただ過剰反応は残念です。「ネットは怖い」とただおびえてせっかく入ったこの世界から逃げるのではなく、この機会に是非「この世界」とはどういうものかを学んで欲しいと思います。「どんな人が見ているかわからない」からこそ、危険なのであり、また同時におもしろいのであるのですから。


# わかる人にはわかると思いますが、この記事は私自身の自戒も込めて書いています。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://koshipa.net/mt/mt-tb.cgi/142

コメントする

名前(ニックネーム可)とメールアドレスは必ず入力してください.
メールアドレスは管理者にのみ通知されます.

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)