それぞれのクリスマス
えーと、ちょっと更新が滞りました。たまりにたまった仕事をやっつけなくてはならなかったのです。その仕事も今日はちょっと山を越えまして。でもひと山越えると向こうの山がみえてくる、という泣きたくなるような状況です。
そんな忙しい年末を過ごしている方は大勢いらっしゃるでしょう。そしてこの忙しいさなか、町なかはクリスマスに向けて大浮かれ。どの店に入ってもクリスマスソングが流れ、きらきらと輝くオーナメント。「今年ももうすぐ終わるぞ」と急かされているようで、いただけません。悪態のひとつもつきたくなります。
ネット上にもいろんなのがありますな。例えばこんなの。
そこで言いたいのだが、日本人のクリスマスバカは、見ていて恥ずかしい。街のクリスマス商戦もばかばかしいし、オモチャを買ってもらえると期待するガキにも腹が立つ。「メリー・クリスマス」と高級ホテルでお食事をしている連中も、何だかなあ、と思うし、繁華街のイルミネーションは、エネルギーの無駄遣い以外のなにものでもない。
これだけ見れば、ああ良くあるこの季節特有の悪態だね、と思います。しかしこの文章、もちろん前後に文脈があり、最後の方にはこんな文章が。
ちなみにわが家にはクリスマスはありません。そのかわり、というわけでもありませんが、「花祭り」があります。お釈迦様がこの世にお生まれになられたことを祝う、仏教徒のお祭りです。わが家の子供にはこの日と、「報恩講(ほんこさん)」と、お誕生日に、欲しいものをプレゼントしてあげることにしています(高価なものではありませんが)。
こうなるとよくある悪態では済まなくなってきます。これは徹底している。すごい。
じつはこのページは石川県にある某寺院のページなんですね。なるほどそれなら徹底してるのはうなずける。しかもこの寺院は真宗大谷派に属しています。日本の仏教の中で、浄土真宗系各派は、およそ宗教らしい宗教で、信仰のありかたも徹底してます。他宗教の行事であるクリスマスなんてとんでもない。だけど寺にも信徒にも子供はいる(浄土真宗はもともと僧侶の妻帯を認めてますから)。子供はクリスマスを楽しみにしています。ここが悩みの種です。ならばどうするか…。
じつは浄土真宗には「報恩講」がありました。これは親鸞の命日である11月28日を中心として、寺によって違いはありますがだいたい10月から12月くらいの間の数日間を定めておこなわれる行事。「親鸞上人の御恩に報いる」というわけです。
これが時期としては微妙にいい。「うちはクリスマスやらないけど報恩講のプレゼントあげるよ」という家は、浄土真宗系の寺や熱心な信徒の家では、実は結構多いようです。「友達よりはやくプレゼントがもらえるよ」とガキいやちがうお子さまを懐柔じゃない説得しているご家庭もあるらしい。11月ですからね。さらにお釈迦様の誕生日4月8日の花祭りを加えると「年に二回のプレゼントだよ」とも。
涙ぐましいです。ちょっとまぬけの香りもします。しかし笑ってはいけない。それが信仰というものです。この真摯な悩みとささやかな抵抗は尊重しなければなりません。ためしに「クリスマス」と「報恩講」をキーワードにして検索してみると、結構な数のそんな試みが見いだせるはずです。そういうページをみていると、自分は真宗門徒ではないけれど、なんか小さな感動すらおぼえるとらじろうなのです。
でもねぇ、考えてみたら上の引用文、たぶん住職が書いてるんだよねぇ。「クリスマスバカ」だの「ガキにも腹が立つ」だのというのはいかがなものか、と。ま、正直でよろしいですが。



